社長ブログ

子どもの頃の思い出 ~vol.1~

母が高齢になってから産まれた一人っ子の私は、
兄と妹を流産で亡くしていることもあって、
両親にとても愛されて育った。


例えば、母は幼児の私の言葉を書き留めてくれていて、
洗濯物が風にはためく様子を見て、私が言った、
「ママ、靴下さんが、遊んでいる」
などの、素敵な記録を保存してくれている。


そのため、普通はこの年齢になれば残っていない幼稚園の記録なども
家に保管されており、毎年誕生日に幼稚園で作成する成長記録のカードには、
手に絵の具を塗ってとった手形とともに、
好きなものや将来なりたいもの、などが書かれている。


それによると、年少さん(3歳児)の私が将来なりたかったものは、
「バンビ」だそうだ。


どうだろう?
白雪姫でもなく、シンデレラでもないところが奥ゆかしく、
さりとて、七人のこびと、と答えるほど地味でもない。
これから成長するイメージも感じ取れ、なかなかのセンスだと思うのだが・・・
(実際には、質問の意図がわからなかっただけ、というのが正解な気がするが)


もちろん、私自身はこう回答したことを、全く覚えてはいない。


その後、喘息を発症した私が、小学校の頃になりたかったものは、医師だった。
そして、「そうはいっても、おそらくなれないだろう」と予測していた。


なぜならば、子どもにとって、医者=手術であり、
熟考タイプで迷い症の自分には、瞬時に判断力が求められる手術は
成長しても、できるようにはならないだろう、と思っていたからである。


その「予測」は、高校で物理と化学と数学がさっぱりダメ、ということが
わかるにつれ、「確信」に変わっていったのだが、
すでにその頃は、なりたいものが変わっていた。


当時私がなりたかったのは国連の職員であり、
それが、法学部に進学することとなるきっかけとなったのである。


では、なぜ国連の職員になろうと思ったのか。
そして、なぜ(政治学部ではなく)、法学部に進学したのか。
それは、また次の機会にご紹介することとしよう。

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